馬鹿行動
歳をとると昔はよかったというようなことを言い始めるのだけれど、今も昔も良いこともあるし悪いこともある、というような話はわざわざしないのだし、嫌な思い出はあまり口に出さないのだし、当然といえば当然なのだけれど、とりあえず年寄りが昔のことを懐かしんで話すのは間違いない。
最初『夕方のピアノ』を聞いたとき、うひょ~と叫んでこの発見に感謝した。
今聞いてもこの曲はすげえと思う。
で、先日田中啓文さんと神聖かまってちゃんの話をしていて、とても賢くて、よく考えられている、ということで評価が一致した。
我々が子供の頃、死ね死ね団の唄以上に死ねと連呼する曲を思いついたら、とにかく死ねと叫んだに違いない。どうしようもなくて地団駄踏んで、何をして良いのかわからないから死ねと叫んだに違いない。
夕方のピアノの不穏な気配と結びつけることも、リリカルな決着点を見つけることも不可能だった。
最近の子は洗練されているんだよね、というような話をした。
でもよく考えると単純に自分と自分の周囲が馬鹿ばっかりだったからかもしれない。
どこか私たちの知らないところで、若くて馬鹿なのにすごく洗練されたあれこれをやっている人たちがいたのかもしれない。
最初『夕方のピアノ』を聞いたとき、うひょ~と叫んでこの発見に感謝した。
今聞いてもこの曲はすげえと思う。
で、先日田中啓文さんと神聖かまってちゃんの話をしていて、とても賢くて、よく考えられている、ということで評価が一致した。
我々が子供の頃、死ね死ね団の唄以上に死ねと連呼する曲を思いついたら、とにかく死ねと叫んだに違いない。どうしようもなくて地団駄踏んで、何をして良いのかわからないから死ねと叫んだに違いない。
夕方のピアノの不穏な気配と結びつけることも、リリカルな決着点を見つけることも不可能だった。
最近の子は洗練されているんだよね、というような話をした。
でもよく考えると単純に自分と自分の周囲が馬鹿ばっかりだったからかもしれない。
どこか私たちの知らないところで、若くて馬鹿なのにすごく洗練されたあれこれをやっている人たちがいたのかもしれない。
でまあ私はこんなの↓を聞いてるんだけど、かっこいいよなあ。
啓文さんにはこっちのpv↓の完成度の高さをお勧め。
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